ピナ・バウシュの公演を初めて観たのは、留学する数ヶ月前。
振り付けが非常に難解で、強烈な演出と鮮やかな色の衣装が印象に残っていた。
2009年に訃報を知ったときは周囲にピナを知る人がいなかったので、一日中やり切れなさを持て余した。
彼女が伝えようとしたものは一体なんだったのか?
それが分からず、ずっと奥歯に物が挟まった状態だった。
パフォーマーやダンサーの作品は解釈が難しいものが多い。
見る側にある程度の知識を必要としているのかもしれないけれど、一般の人に伝わらないアートは所詮アーティストの独りよがりだという考えが私の中にある。
当時はその典型だと思っていたので、およそ5年を無駄にしてしまったことになる。
なんと勿体ないことをしたのだろう…
『ピナ・バウシュ 夢の教室』(独題:Tanz Träume)を観に行ってきた。
同時公開されているヴェンダースの『ピナ 踊り続けるいのち』よりマイナーだが、映画館内はほぼ満員という盛況ぶりだった。
少し前に観た、エル・ブリのドキュメンタリー映画も同じく好評だったし、ドキュメンタリー映画もちゃんと収益を上げられる時代になったのかなあと思ったり。
映画の内容に入る。
事の始まりはピナのひらめきだった。
彼女の代表作品である「コンタクトホーフ」を、ダンス経験の無い10代の少年少女たちに踊らせてみようという企画が持ち上がり、10ヶ月間ヴッパタール舞踊団の元ダンサー2人が彼らに猛特訓を施すことになったのだ。
稽古場はまさに教室。
先生と生徒が同じ輪の中で、互いの心の壁をきれいに解放し、率直な言葉で語り合う。
私が思うに、ドイツ人は外見と中身のギャップが大きい。
がっちりとした体格にイカツイ顔立ちの一方で、性格はとても素朴で真面目だ。
この映画の舞台になった街が労働者の街で、不要なメディアが入り込んでいないせいもあるのか、少年少女たちはビックリするくらい純粋で真っすぐだ。
私が留学していた大学もこんな雰囲気で授業を行っていたので、とても懐かしく、とてもリラックスしながら見ることができた。
ドイツ語に耳を傾けていたら、彼らと笑うところが同じになったりしたのも楽しかった。
このドキュメンタリーは振付を解説するシーンが多い。
おかげでピナの表現の凄さに気づけたのだけど、逆に身震いする場面もあった。
恋の駆け引きをモチーフにした有名な場面。
椅子に座る男女が互いをじっと見つめ合いながら、ゆっくりと下着を脱いでいく。
今回演じるのは老人ではなく子どもなので、青臭くぎこちなく、とても恥ずかしい。
(まるで自分の初体験を見ているよう)
稽古ではみんなの声援を受けながら、なんとか下着を脱いだ少年が、本番では潔く脱ぎ捨て、見ている大人たちがクスクス笑ってしまっていた。
鑑賞者の記憶を引き出して感情移入させてしまう、ピナの凄さだと思う。
ピンク色のドレスのひとりの少女に、少年達が触れる場面。
始めは「優しく」癒すように少女の顔や体にさわるのだが、徐々にその行為が激しくなり、少女は涙を浮かべて体をこわばらせていく。
美しいものへの純粋な愛(欲しい、愛しい)という想いが暴力へと変化する…これはレイプ行為の表現なのではないか?
ピナはそれを愛のひとつのかたちとして表現してしまったのだ。
これには痺れた。
「愛ってなに?」「恋はしたことがあるけど」
演技に悩む彼らの言葉を聞いていて切なくなった。
すでに初体験を済ませた少女は滲み出る自信や色気を隠しもせず、つねに堂々としている。
そう、大人になる=汚れるということなのだ…。
ピナに「汚れたあなた、あらためて愛ってなんだと思う?」と問われているような気がした。
大人だったら、どう答えていいのか分からない問い。
ここで、なんとも良いタイミングで、天使のように美しい少女が登場する。
自らの過去のトラウマに向き合い、確実に演技を物にしていく粘り強さ。
そして、グリーンのドレスに身を包み、「人魚のようね」と美しさを褒められると恥ずかしがってしまう可愛さ。
その純粋さに救われたような気持ちになり、ふっと肩の力が抜けた。
この映画は少年少女の成長の物語でもあり、大人への問いかけの物語でもあった。
映画を観た後、サンバの営業に参加したのだけど、後輩の姿にいちいち口を出している自分がいて、歳とったなあ(笑)と思った。
『ピナ・バウシュ 夢の教室』(独題:Tanz Träume)
少年少女たちが真摯に自分を見つめ、他者を発見していくプロセスを映画化した傑作。
ベルリン映画祭で絶賛されたそう、納得でした。