Earth Day Tokyo

先週末、Earth Day Tokyoのイベントに行ってきた。

こういう社会貢献を目的としたイベントにはあまり縁がなかったのだけど、友だちも出展していると聞いたので行ってみた。
会場である代々木公園は人でごったがえし、大変な賑わいを見せていた。

そもそも「アースデイ」とは?
1970年、ウィスコンシン州選出のG・ネルソン上院議員が4月22日を”地球の日”であると宣言し、人々が地球規模での環境問題に関心を持ってもらうためのもの。
今年は世界192カ国で開催され、およそ10億人もの人々が参加したそう(→CNNの記事)。

環境問題に関心のあり、自発的に行動している人というと、登山好きな人や海外支援活動家などを思い浮かべる。
どんな人がいるのか人間観察をしてみたけど、そのイメージはそんなに間違ってはいなかった。

私が社会貢献活動に興味を持ったきっかけは、やはり昨年の震災。
放射能の問題だけでなく、日本の自然がどんな問題を抱えているのか?地方は大丈夫なのか?
調べ始めてみると様々な問題があり、それをなんとか解決しようと多くのNPOが活躍していることに気がついた。
なので、このタイミングでイベントに来れてよかった。

イベントの参加団体については、有名どころでいうとMOTTAINAI、大地を守る会、Frosch、AWEDAなど。
ほかに東北の復興支援団体や、カンボジアの最貧困家庭に農業技術指導と教育普及事業を実施しているAICAなども出展していて、呼びかけているスタッフの方々の熱意が直に伝わってきた。
カフェブースではCafe Eightやkurkkuなど人気店も参加し、充実した内容のイベントだった。

ステージでEGO-WRAPPIN’のライブを楽しんだ後、友だちの宮ちゃん夫妻が参加しているブースへ。
この2人が参加している「茨城アイガモ水田トラスト」のシステム、なかなか面白い。

茨城県内の田んぼを有料で借り、一般の人が自分でお米を育てる、もしくは農家の人に委託して収穫することができる。
そして、無農薬合鴨農法といって、田植えを終えた後に子どもの合鴨を田んぼに放つことで除草・害虫駆除を行うのも特徴。
田んぼにわらわらと鴨が入って行く姿が目に浮かぶ。
話によると泳いじゃったりするらしい。かわいい〜♪
最終的には美味しいお米と合鴨肉をゲットできるのです。
(食べちゃうのがカワイそう…という人はペットにできるとか)

そんなわけで、お店では一番人気のお米2合+収穫したお米でつくった塩麹を購入。
夕方、建築家の長沼さん主催の内覧会に行ったので、それらをお土産にしてみた。
ものづくりを仕事にしている人は手間をかけて作られたものが好きだろう、と予想して。

クリックひとつで何でも出来てしまうのも便利でいいけど、
こういう手間隙かけて作ったもの、実際に体験しないと分からないことも忘れてはいけない。
予定があえば、農作業イベントに参加しようと思った。

天国のパイ

死ぬとは。生きるとは。
いきなりこう書くと変に思われるかもしれないけど、今週末はずっとそんな事を考えていた。

さとなおさんのFB投稿で、駒沢敏器さんという方の訃報を知った。
「事件性が強い」という言葉が気になり、ひととおり彼について調べたのだけど、その華やかな経歴と衝撃的な最期とのギャップに強烈に惹かれた。
彼はどんな想いで母と最期を決めたのか…。

駒沢さんはSWITCHの元編集者で、「沖縄の一番の理解者」とまで言われたライターであり、翻訳家でもあった。
今まで名前を知らなかったことが恥ずかしい。
戦後、日本の法にもアメリカの法にも守られず孤立していた沖縄だったが、徐々にアメリカ文化が浸透していき、独自の生活習慣が根付いた。
皮肉にも、その移植された文化は古き良きアメリカの姿をしていたそうだ。
彼がずっと書き綴っていたブログを読んで、31年しか生きていない自分が本当に未熟だということを実感。
静かだけれど切れ味のよい語り口に魅せられ、自分自身に問いかけた。

その日の昼、母からメールがきた。
ずっと入院していた大叔父さんが亡くなったとのことだった。

母方の家は武士から農家に転向した変わった家だ。
私が小学校の頃はまだ果実の栽培をしていて、夏になると段ボールいっぱいの葡萄や桃が、秋になると梨が送られてきたものだった。
親戚中が集まる夏休みには、従弟たちと一緒にトラックの後ろに乗せてもらって風に吹かれるのを楽しんだり、畑を走り回って昆虫採集をした思い出がある。
そんな開放的なところがある一方、客間には額縁に入れられた大きな家紋が飾られ、先祖への供養を欠かすことがないようにと子どもに教えるような、とても信心深いところもあった。
母は「うちは変わり者だから(家紋の)藤の花が逆さなんだよ」と、よく冗談を言っていた。

当時の大叔父さんはまさに「農家の男」で、真っ黒に日焼けした肌と爽やかな笑顔がトレードマーク。
とても正義感あふれる人だったようで、農業だけでなく地域貢献も精力的に行い、議員に当選したときは冗談かと思った。
大人になるにつれて、私は新年会や集まりに顔を出さなくなった。
もっと会って話をしていたら色々と勉強になったのに、と残念に思った。
享年83歳。うちの祖母を含む4兄弟はみなO型で、彼が一番O型らしい性格だった。
母も祖母も「長く持ったねぇ、頑張ったねぇ」と言っていた。

私は人の死がすごく苦手なのだけれど(訃報を聞くとその夜は眠れない)、今回は大叔父さんと親類との20年ぶりの再会になるので、気合いを入れて斎場に向かった。
フサフサの黒髪だった叔父さん叔母さんは白髪に、添い寝をしてあげた赤ちゃんはラグビーでもやってそうな体格の良い大学生に。
私のことは皆すぐに気付かず、分かると大歓声で迎えてくれるのが嬉しかった。
ピアノの調律師をしている従兄と音楽や仕事の話で盛り上がったり、歳が近い(といっても一回り上)従姉は唯一「結婚を甘く見るなよ〜」と突っ込みを入れてくる。
泣いている人もいたけれど、晴れやかな顔で握手を交わしている姿もあり、いいお葬式だったと思う。

式が終わった後、みんなで本家を見に行った。
子どもの頃はとても大きなお屋敷だと思っていたけど、今はごく普通の農家の家に見える。
奥さんに先立たれた後はたった一人で生活していた大叔父さんだったけど、近所には自分を慕う人たちがいて寂しくなかったと思う。

人に惜しまれる最期と、実の親に命を奪われる最期…

駒沢敏器さんのブログに、1911年に書かれたジョー・ヒルの詩を見つけた。

 長い髪をした牧師たちは毎晩現れる
 何が誤りで何が正しいのか
 それを彼らは説こうとする
 そこで食べものについて尋ねてみると
 彼らは妙に甘い声でこう答える

 近いうちにやがて
 それに困ることもなくなるでしょう
 空高きにある輝かしい場所
 働きそして祈るのです
 干し草のうえで過ごすのです
 さすればあの世に召されたとき
 そこにはパイが待っていることでしょう

 原詩ではパイの「P」と、語尾の「ay」「ie」が韻を踏んでいる。

 Work and pray, live on the hay
 You’ll get pie in the sky when you die

自分はどんな最期を迎えたいか?
結婚も出産もしてないヒヨっ子だけど、とにかく「あー面白かったー」と思った瞬間、死にたい。
子孫をつくり、母として子どもの独立を見届けたら、スパッと消えたい。

そんな笑えるくらい潔い最期がいいな。

「あれから1年」

「あれから1年」は、今年の流行語大賞になるだろう。
そんなことを思いながら、普段どおりに日々を過ごし、週末は適度に遊んで、今年の3.11を迎えた。

NHKスペシャル・3.11 あの日から1年「南相馬 原発最前線の街で生きる」

1年前の3月、綴っていたブログを読み返した。
昨年の震災時、眠れない日々が続いたせいか、私はずっとハイの状態だった。
あれだけ新聞記事を読みまくって勉強したのは高校受験以来、いやそれ以上だったかもしれない。
詳しい人にコンタクトを取ってネット上に情報を流し、生々しいコメントをもらったのも貴重な体験だった。

きっと周囲の同僚や友人も同じだったろうけど、
連日連夜ソーシャルメディアを駆使して、ひたすら最新情報を入手しては拡散し、会社員としてできないこと以外はすべてやった。
個人的に動ける範囲は限られていたものの、本当にいろいろな方にご協力いただき、どうやったら現実と戦えるかを考えた一年だった。
福島県いわき市のボランティアの方々、東京で今も支援を続ける団体の方々との出会いが曇っていた目をキレイにしてくれた。

アエラの表紙、最初誰だか忘れてたけど、こういう骨のある人が政治家になればいいのにと思った。
南相馬市が日本の先端をいく未来を早く見たい、でも震災戦犯が裁かれることはないかもしれない。
理不尽で先の見えない未来。
でも一つだけ言えるのは、震災後の日本人のほうが好きだ、ということ。
国ではなく。

過去との融合

先週末、感慨深い時間を過ごし、昔を思い出してしみじみした。
昨年の夏から試みてきた”過去との再会”が、終りに近づいている。

ムサビ卒業後に参加した建築ワークショップ、通称「能建」。
昨年末からちょくちょく飲み会に参加してたんだけど、メンバーの一人が地方転勤になり、送別会が開かれた。
何度かブログに書いているけど、このメンバーのほとんどが東大大学院卒。
みんな人柄が非常によく、出会った時「世の中にこんな絵に描いたような人たちがいるんだ!」とビックリしたのを覚えている。
社会人で30過ぎてみると、こうして仲間として呼んでもらえることはある意味、奇跡。
下の名前で「きよぽん」と呼ばれるのも、昔のまま。

乃木坂で超絶旨い焼き肉を食べ、二次会は西麻布のTHESEという図書館風バーへ。
自然と男子・女子にわかれて、それぞれ恋の話で大盛り上がり!
個性がバラバラなのにうまく噛み合っているのは思い出と友情のおかげ。
溜め息の出るような美しい空間の中で、まっすぐに人を愛したり夢を語ったり。
みんなの笑顔が美しい。まるで映画のワンシーンのよう。
一緒に大声で笑いながらも被写体としてみんなを冷静に見ている私は、やっぱり映像学科出身だった。
仕事はweb広告、専門は建築、大学は映像…。

翌日の朝4時まで飲んで記念写真を撮った後、タクシーで帰宅。
すこし寝て、メディア芸術祭の会場である新美に足をはこんだ。

今回、意外にも印象に残ったのはアニメーション作品だった。
らくがきのようなキャラクターが津波と同機して忙しなく動く、しりあがりさんの作品。
お笑い番組の爆笑と震災のイメージがかさなり、ものすごい衝撃を受けて、友だちと一緒に無言で魅入った。
これがトップを走り続けるクリエイターの実力。
「rain town」は、水彩画のような淡い色彩とリアルな水の質感が印象的。
「HIMATSUBUSHI」は、電車に乗ったら誰もが妄想しそう、白い人の愉快なジャンプ!
もうホント楽しくて、爆笑しながら見てた。
その場にいる人たちも心から楽しんでる笑顔をしていた。

一方、インタラクティブ作品は作品というより実験装置。
真鍋さんの作品に圧倒され、KInectを使ったシミや猿の作品はじわじわと面白が伝わってきたが、心の琴線に触れる芯はない。
ディズニーランドのプロジェクション・マッピングは人の心にスッと入ってくる。
相当な技術力がつぎ込まれているが、それを「魔法だ」と思ってしまうから垣根をすんなり超えられるのに。
広告のインサイトの話に通じるけれど、どんなにテクニックを駆使しても、人の心につながらなければ感動は生まれない。

私が初めて「魔法だ!」と思った作品は、メルセデスベンツ・コネクションに展示されていた「KAGE」。
第一回目の受賞作品であり、ムサビ助手だった近森さんの初期作品
小降りな作品ではあるけれど、鑑賞する前の予想をあっさり裏切り、懐かしい子どもの頃に見ていた夢の世界に連れ去られてしまう。

私が作家になろうとしていた10年前は、難解な心象風景を投影したビデオインスタレーションのとなりで、インタラクティブ作品がすくすく育っていた時だった。
アート特有の内向的で泥臭い刹那さとデザインの持つ社交的でしなやかな潔さの中間で、メディアアーティスト達は模索していた。
私はデザイン要素が欲しくて走り回っていたら建築に足を踏み入れることになり、気付いたらそれが目的になった。
「問いかけ(アート)」よりも「答え(デザイン)」を求めた。
それから飽和状態の好奇心をまとめるために広告の世界に入り、再びアートとデザインを眺めている。

最近イラストをよく眺めている。
絵を描くことが未だに好きなのは、揺れている自分を定着させるための現像行為だろう。

何かになろうとしていたけれど、たぶんコレが私で、もう何かになっている。
中途半端が嫌いな性格だけど、生き方は中途半端なわたしは、ココが一番性にあっているのかもしれない。